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にも現世に於いて經過したることの記憶を保存しまたこの細身が來世に於いて更に身體を形づくる種子となるなり。

《感覺より諸〻心作用の起こり來たる趣。》〔一九〕かくの如くボネーは吾人の心身の相結ばりて離れざることを說くに重きを置けり。彼れが好んで云へる言に曰はく、亞米利加土蕃人の頭腦にモンテスキューの靈魂を入るとも、之れによりて吾人の得る所はモンテスキューに非ずして亞米利加土蕃なりと。斯かる見地よりしてボネーはおのづから主として其の眼を生理的方面に注ぎて一切の心作用の物質的條件を攷究せむと力めたり。以爲へらく、感官器に於いて喚起されたる興奮が傅播して腦に至り其處に腦纖維の振動を起こす、この振動なくして心作用の起こり來たることなし、此の故に感官は吾人の心に觀念の入り來たる唯一の通路なり。斯く腦纖維の振動が心作用に必須なる生理的方面なるのみならず、同樣なる刺激に應ずるには一定せる腦纖維あり、各種の音及び各種の色に對しても皆それぞれに定まれる腦纖維あり。

吾人の腦を組織する分子が外界の刺激の傳はるによりて、一旦變動を起こしたる後に於いて其の變動は痕跡を遺すがゆゑに再び同一の感覺を感ずとも其は全く