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《コンディヤックの說に於ける二元論。》〔一三〕斯くしてコンディヤックはロックの創始せる觀念の硏究をば終に感覺論まで持ち行きたり、されど彼れはまたデカルト學派の二元論を保持する所あり。彼れ說いて曰はく、人間の罪惡に墮落せざる前と死したる後とは現今の狀態と一にはあらざれども(是れ彼れが其の宗敎上の信仰に假して言へるもの)現今に於いては吾人は全く身體に繫がれ居るを以て其の媒介に依らずんば一の觀念をも得ること能はずと。されど彼れは又物體の運動と感覺とを全く相異なるものとし物體が心作用を爲すと云ふことを以て決して考ふべからざることとせり。このゆゑに彼れ考ふらく、身體上に於ける變動は是れ唯だ身體とは異なりたるものに觀念の起こり來たる身體上の緣に外ならずと。斯くコンディヤックは心物を相異なるものと見たれどもまた身體も物體も共に其の根本の性質に於いては吾人の知り得る所に非ずと考へたり。彼れは又更に進んで廣袤(是れ本來は視覺によりて得ず、唯だ觸官によりて認むべきもの)も亦是れ一種の感覺なることを許し唯だ是れは他の感覺に比して最も恒に存在する要素にして他の感覺の集結する中心となるものなり、而かも是れ亦詮ずる所吾人の知ることを得ざる或者