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によりて吾人の心に喚び起こさるゝ吾人の感覺に外ならずと說きたり。斯く云へる所より見れば、彼れは吾人が目を以て睹、手を以て觸れて認むる物象も是れ亦吾人の心の觀念にして吾人の心に其等の觀念を喚び起こすものの何たるかは吾人の知るを得ざる所なりとせるなり。要するに、コンディヤックは斯かる知識論上の觀念とデカルト學派風の二元論との間に彷徨せるものと思はる。斯く彼れは唯物論の立脚地を取らざりしと共にまた固より神の存在をも否まざりき。

《コンディヤック、ヒューム、ライブニッツの知識論の比較。》〔一四〕コンディヤックの說きし所は當時佛蘭西の啓蒙時代に於いては哲學思想として最も堅實なるものなりき。彼れは專ら吾人の心に有する凡べてのものの心理的生起の由來を究めむとせし者なるがヒュームも亦同じくロックの立脚地より出立して其の說を單純なる又首尾貫徹したるものと爲さむとせる者なることはさきに叙述したる所の如し。ヒュームは印象及び想念といふことを以て其の出立點となしたれども凡べて吾人の觀念を分解して唯だ感覺のみなりとは爲さざりき、即ち彼れの論は觀念論といふべくして感覺論といふべからず。コンディヤックは唯だ個々の感覺といふことを以て出立し演繹的に論じ去りて凡べてが