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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/425

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計算を用ゐる記號是れなり。學識といふものも詮ずる所此等記號の關係を以て組織したるものに外ならず、而して其の關係は根本に於いては一が他と同一なりといふことを認むるにあり、盖し判定は觀念の異同を認むるものに外ならざればなり。思考の用は一記號を以て示す所と他の記號を以て示す所との間に相同じといふ關係の在ることを發見し而して未だ知られざるものを已に知られたる觀念の和合に均しきものと見ることにあり、一言に云へば、觀念の方程を立つることの外にあらず。このコンディヤックの意見は要するに自然科學の硏究に於いて用ゐられたる方法(即ち一現象を分解して更に單一なるものとなし而して其の單一なるものの結合と其の現象とを相同じと見ること)を論理及び知識論の上に應用したるものに外ならず。

斯くの如く凡べて吾人の知識は注意の作用によりて觀念を分析し而して分析し出だせるものの間に何れが何れと相同じきかといふ關係を發見するに在りて其の他に特殊なる種々の能力の吾人の心に具はれるものなし。而して注意といふ作用其のものも畢竟强き感覺に吾人の心の全く奪はれたる狀態に外ならず、感覺