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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/424

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が始めに吾人の感覺する所は頗る漠然たるものなり、而して此等最初の混沌たる感覺の中に於いて漸々に差別を發見し來たるは畢竟ずるに注意の作用による。吾人の知識と名づくるものは其の根本の成り立ちに於いては注意によりて感覺の間に差別を認むることの外に出でず。比較すと云ひ、判定を下すといひ、記憶すといひ、或は抽象すといふ、此等の基づく所は皆注意の作用に在り。同時に二つの感覺に注意する、是れ即ちそを比較するなり。斯く比較して二つの觀念の異同を認むる是れ即ち彼れは是れなり或は是れならずといふ判定を下すなり。一度注意したる感覺の後に其の痕跡を遺す、是れ即ち記憶するなり。便宜上作り設けたる記號を附して一感覺をそが自然に相結ばれる他の感覺より離すは是れ即ち抽象するなり、斯く實際は分離し居らざるものを抽象して相分かつには記號の助けによらざるべからず、委しく云へば言語を用ゐて種々の感覺を命名して以て分析を助け又分析したるものには之れに命名して假りに分析したるものを取り扱ふに便利ならしむるなり。人間の知力の優れたる所以は其の發達したる言語を用ゐ得ることに在り。記號即ち言語に五種類あり、手眞似、音聲、數字、文字及び微分的