Page:Onishihakushizenshu04.djvu/423

提供:Wikisource
このページは校正済みです

此等は皆畢竟感覺を感ずといふことより成り上がれるものに外ならず、即ち純然たる感覺論は彼れに至りて始めて成り上がれりといふべし。コンディヤックは吾人の心の一切の內容が凡べて感覺より成り上がれるものなることを說明せむが爲めに假りに一の刻みたる立像を想像し其の像に於いて嗅官を初めとして他の感官が漸次に其の用を作すに從うて如何なる觀念の其の心に入り來たるかを說き終に觸官に至りて始めて外物といふものの知覺の成就さるゝ次第を叙述せむと試みたり。即ち彼れは斯く感官の一々に開くることによりて漸次に如何なる觀念の吾人の心に入り來たるかを見、かくして感官より入り來たる觀念の外に吾人の心の內容となるべきものなきことを證明せむとせるなり。彼れの說く所に從へば、廣がりは唯だ觸官によりて感覺するものにして他の感官によりて得る所のものは凡べて主觀的狀態に外ならず、客觀的事物として之れを空間に投置するは唯だ觸官のなす所なり、色聲香味等の感覺も唯だ觸官より得る所のものと結合して始めて外物の性質として投置せらるゝなり。

《一切の觀念は感覺より成る。》〔一一〕かくの如く吾人は凡べて感官によりて心の內容を得來たるものなる