Page:Onishihakushizenshu04.djvu/409

提供:Wikisource
このページは校正済みです

其の大著を公にしたる十年以前即ち一千七百二十九年のことなりき。而してヺルテールが其の著 Lettres sur les Anglais" に於いて彼れが英國より得來たれる新學問、新宗敎思想及び新政治思想を其の國人に示して佛の思想界に一時期を劃する始めとなれるは恰もロックの死してより百年後(即ち一千七百三十二年)のことなりき。

モンテスキュー及びヺルテールは大に英國の立憲制度を歎美し殊に前者は英國立憲制度の基礎を置けるロックの政治論に根據し尙ほ自己が歷史上の硏究をも加へ理想的制度を描きて之れを時人に示さむと力め、ヺルテールは同じくロックの思想より出立して當時の專制政治及び貴族並びに僧侶の階級的專權に向かひて劇烈なる攻擊を開始し終に後にルソーに至りては共和的思想の養成せらるゝこととなれり。

《ニュートンの世界觀、デイスト風の宗敎思想の輸入。》〔三〕ヺルテールは斯く當時の社會制度に向かひて手痛き攻擊を加へたると共にニュートンの世界觀に基づきてデイスト風の宗敎的思想をも輸入し來たれり。而してかく彼れの移し植ゑたるニュートンの機械的自然科學の思想及びデ