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普及せしむる傾向は英國にも佛蘭西にもまた獨逸にも盛んに行はれてこゝに歐洲全體の風潮をなすに至れり。之れを歐洲近世思想界の歷史に於ける啓蒙時代(Aufklärungsperiode)と名づく、恰も是れ希臘に於けるソフィスト及びソークラテースの時代と相比すべきものなり。英國に於いて件の啓蒙的風潮の最もよく認めらるゝはデイストの運動なりき、而して英國に於けるものと佛蘭西に於けるものと獨逸に於けるものとの間には多少其の趣を異にする點なきにあらざれど畢竟ずるに是れ皆同一大勢の所產に外ならず。中に就きて最も大膽なる運動を起こし最も廣大なる結果を來たしたるは佛蘭西に於けるものなりき。

《佛蘭西に於ける啓蒙運動の起因。モンテスキュー及びヺルテール。》〔二〕佛蘭西に於ける啓蒙運動の起因は十七世紀より十八世紀にかけて英國に於いて活潑なりし思想界の產物を移し植ゑたることにあり。デカルト等の出でたる時に於いて其の學風の影響は英國に及びて英國の學者は一時佛蘭西より學ぶ位置に立ちたるが如き趣ありしが、今は其の打ち返しとして却つて英國より佛蘭西に其の思想の影響を及ぼし來たれり。モンテスキュー及びヺルテールが英國の制度に對する歡美の念を懷きて英國より歸り來たれるは共にヒュームが