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James Oswald 一七九三に死す)アダム、ファーゴソン(Adam Ferguson 一七二四―一八一六)ヂェームス、ビーティー(James Beattie 一七三七―一八〇五)等あり。然れどもリードの死後エディンボロー大學の椅子に於いて此の學派を代表して最も勢力ありしは "Elements of the Philosophy of the Human Mind"(一七九二―一八二七間出版)及び其の多くの著作を公にしたるヂュガルド、スチュワート(Dugald Stewart 一七五三―一八二八)なり。尙ほ其の後には多少聯想學派に傾きたるトマス、ブラオン(Thomas Brown 一七七八―一八二〇)あり、ブラオンの主要なる著述には『人心哲學講義』("Lectures on the Philosophy of the Human Minds" 一八二〇出版)あり。

《リードの立塲。》〔二〕蘇格蘭學派の唱道せる主要なる點はリードの說ける所によりて窺ふを得べし。彼れが其の常識哲學の趣意を公にしたる著述 "Inquiries into the Human Mind on the Principles of Common Sense"(一七六四出版)に說ける所は最もよく此の學派の出で來たりし所以を示すに足るものなり。曰はく、彼れ初めロック及びバークレー等の說に從ひたりしが其の論がヒュームに於いて如何なる決論に達したるかを見るに及びて翻然として其の說の非なることを悟れり。以爲へらく、ヒュームの