Page:Onishihakushizenshu04.djvu/401

提供:Wikisource
このページは校正済みです

說ける所はロックの哲學の正當の結論なることは爭ふべからず、されどかゝる結論に達したることは取りも直さずロックに於ける出立點の謬れることを示すものなりと。斯く考へて更に嚴密にヒュームにまで至れる經驗哲學の立脚地を精査せむと思ひ立ち而して其の精査の結果として其れが却つて吾人の實際の經驗と相容れざるものなることを發見せりと。但しリードは決して經驗を根據とする立場を離れむとせるにはあらず、却つていづこまでも其の立場に居りて而してロックに創められたる說の誤謬を正さむことに志せるなり。彼れ自ら云へり、ロック及びヒュームよりも更に嚴密にベーコン及びニュートンの取りたる硏究法に從はむことを力むと。

《リードの說、常識とは何ぞ。》〔三〕リード以爲へらく、吾人の知識は若干の原理を以て窮極の出立點及び基礎と爲さざるべからず、論理の步を追うて理由より理由に溯り行くとも吾人は限りなくしかすることを得ず、何處にてか窮極自明なる原理に到達せざるべからず、而して此等自明の原理は吾人の心の本來の成り立ちに存在するものにして萬人に通じて在るべきものなり,。故に吾人の心をロックの譬喩に從ひて白紙のごと