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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/397

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Spirit" 一千七百四十七年出版)に於いて論ずる所に從へば、物質を以て(已に一イェスイト宗徒なるボスコヸヒ〔Boscovich〕の唱へたる如く)或は牽引し或は反撥することを爲す勢力とし而して原子は畢竟勢力の中心に外ならずと見たり。故に此の說に從へば、物質の廣がり居る、及び其が障碍の性を有するも究竟すれば勢力が吾人の五官に及ぼしたる影響に對して吾人の感ずる感官上の性質に外ならざるなり。斯く彼れは物質を勢力と見たる所より心物二種の實體を置く必要なしとし、同じき一つの物體が一切の活動を爲すと考へ、而してかく解したる唯物論は物體以外別に精神の存在を說く說よりも更によく原初の基督敎的觀念に合するものなりと考へたり。但し宗敎上の思想に於いてはプリーストレーはデイスト風の立場に在りき。

《エラスマス、ダーヰンの聯想說及び道德說。》〔五〕ハートレーの所說はエラスマス、ダーヰン(Erasmus Darwin 一七三一―一八〇二、醫を業とし自然科學者、文學者及び哲學者として當時其の名を揚げたる人にしてかの進化論の祖と稱せらるゝチャールス、ダーヰンの祖父に當たる、其の主要なる著述は『ヅォオノミア一名有機的生活の法則』("Zoonomia or the Laws of Organic Life"