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たる人々は自然界の何たるを看破すれば其の根柢に於いて神を發見することを得べく、自然界の蘊奧を探ることによりて神の祕密に入るを得べしと思惟せり。かくの如き思想の傾向はミランドラのジョヷンニ、ピーコー(Giovanni Pico de la Mirandola 一四六三―一四九四)に於いて之れを認むるを得。ロイヒリン(Reuchlin 一四五五―一五二二)は此くの如き思想にカッバーラの要素を打ち混じたり。更に祕術的傾向を帶びたるものは之れをアグリッパ(Agrippa 一四八一―一五三五)に於いて見るを得。當時此等自然界の探求に熱中せる傾向は以て中世紀思想の轉變したる一徵證となし得べし。今いふ神智學風の傾向を帶びたる學者は自然を奧妙なるものと思惟し吾人は其の祕密に探り入ることによりて神智を得また妙力を得て遂に祕術的不思議力をも得べしと考へたり。而して此等は吾人若し深く自然を究めて之れを用ゐることをせば偉大なる事を爲し得べしと考へたる時人の思想を反映したるものに外ならず。

《パラセルススと其の自然界の論。》〔四〕上に云へるが如き思想の最も善く發達したるものはパラセルスス(Paracelsus 一四九三―一五四一)に於いて認めらる。彼れの考ふる所によれば哲學は自