Page:Onishihakushizenshu04.djvu/38

提供:Wikisource
このページは校正済みです

開發するに足るものに非ずとしたり。ラウレンヅォ、ヷルラ(Laurenzo Valla 一四〇八―一四五七)ヸーヹス(Vives 一四九二―一五四六)ニヅォリウス(Nizolius 一四九八―一五七六)等此の流に屬せり、就中最も有力なりしはピエール、ド、ラ、ラメー(Pierre de la Ramée 一五一五―一五七二)なり。ラメーは痛くアリストテレースを排擊し自ら所謂「自然的」論理學を唱へ吾人の自然になす思想の運用が言語に現はるゝ所を見て新たに論理の法則を發見するを要すと論じ論理學に種々の改良を爲さむと企てたり。

《自然界の硏究と神智學。》〔三〕當時思想上の新しき產物には新プラトーン學派風の彩色を帶びたるもの多かりき。盖し哲學が神學と手を別かちてよりは其の本領とする所おのづから自然界の硏究となり、超自然界を以て哲學の關せざる宗敎上の事なりとして之れを神學に委ぬることとなり、而して件の自然界の硏究は多くの學者に於いては新プラトーン學派風の趣味を帶びたるものとなり、又是れが基督敎的思想と相結ばりては其の結果神智學風のものとなり來たれり。こゝに神智學といふは神に接して之れを識る知識を得ることを目的としたるものの謂ひにして、之れを唱へ