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シャフツベリーが感情を基として倫理を說き主知的道德說に反對したるに似てヒュームも亦感情を以て吾人の道德的行爲に於いて最も重要なるものとなしたり。彼れはいと明瞭に說きて曰はく、吾人の行爲の動機となるものは感情なり、知は吾人の取り得べき途を示す用あれども實際吾人を動かして其の途を取らしむるに至るものは感情なり、感情を支配せむには他の感情を以てする外に途なし。而して此等の感情が想念と結合する所より種々の情緖は形づくらる。彼れが此等情緖の成り立ちを論ずる所はスピノーザに似てそれよりも更に詳かなり。但し、感情と感情とが直接に相喚起することあるか、將た其の結合は必ず想念の媒介によるを要するかに就きてはヒュームの論ずる所一定せざるが如く見ゆ。かくの如く吾人が德行を爲す動機は畢竟ずるに之れを感情に求めざるべからず、而して如何なる動機によりて德行を爲すに至れるかといふことと其の德行の價値とは必ずしも一ならず。同一の德行が種々異なりたる動機によりて爲さるゝことあるなり。

斯くの如く道德上の褒貶は元來行爲の結果に對するものなりといふ立塲是れ即