Page:Onishihakushizenshu04.djvu/37

提供:Wikisource
このページは校正済みです

Bessarion 一四〇三―一四七二)及びマルシリオ、フィチーノー、(Marsilio Ficino 一四三三―一四九九)等此の派の錚々たるものなりき。此等プラトーン派の學者も又アリストテレース派の學者も(但しプレトは大に基督敎的思想を脫して希臘思想に染み、ベッサリオンは敎會に對して無頓著なりしが)一般には決して公然敎會に反抗を試みることなく、此等兩派の相爭うて他派を攻擊するや其の非基督敎的性質を擧げて之れを駁するを常とせり。アリストテレース學派はプラトーン學派の萬有神敎的なるを以て非基督敎的なりとし、プラトーン學派はアリストテレース學派の自然的傾向を以て非基督敎的なりとせり。されど其のスコラ學說に反對せるは二者共に一なりき。

スコラ哲學に對する最も銳利なる攻擊は(專ら其の論述の仕方に對して)ヒュマニストの中、羅馬の學者の常識を重んじたる折衷的哲學思想に就けりし人々より來たれり。此等のヒュマニストはシセロ等を歎美して其の麗はしき修辭に著眼し之れをスコラ學者の無味乾燥なる論述の仕方に對比して專らアリストテレースの論理學即ち中世紀に用ゐられたる形式的論理を嘲り、これを以て眞に吾人の知識を