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にあらず、吾人の個々の欲望はそれぞれに其の向かひ行く事柄を有するものにして例へば食欲は元來食物に向かひ行くものなるが如し。斯く吾人には元來それぞれの事柄を欲する心ありて其の欲望を滿足せしむる所に快樂を覺ゆるなり、而して其等自然に具はる個々の欲望の元來の成り立ちより云へば快樂を目的として之れに向かひ行くといふよりも寧ろ先づ或事物に向かひゆき其れを得てそこに快樂を覺ゆるなり。吾人は吾が情欲及び種々の情緖の導くがまゝに任ずれば却つて吾が利益を失ふに立ち至ることあり。されば通常主我的なりと稱せらるゝ是等諸々の性情は吾人の一切の行爲を支配するものとしての自愛心と區別せられざるべからず、眞實の自愛心を以て自己の一切の行爲を統御し居るといふ意味にては吾人は決して自然のまゝに於いて自愛的のものに非ず吾人が自然に爲す所にしてかゝる自愛心の指示に合はざるもの甚だ多し。
然らば吾人の行爲全體の上に臨みて其を統御すべきものは何なるぞ。バトラーはこゝに二つの者を擧げ來たる。曰はく良心(conscience)、曰はく自愛心(self-love)是れなり。彼れは此の二者を以て共に同等にして最高權を有するものと見たり。こ