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表されたる樂天說に對して厭世的思想を唱へたる者と見らるべきなり。

《監督バトラーの道德說。》〔六〕シャフツベリーの後に出でて英吉利の倫理學界に一の肝要なる地位を占むるは先きに宗敎論を叙せる時其の著 "Analogy of Religion" を以て名を得たりと云へる監督バトラー(Bishop Butler 一六九二―一七五二)なり。上にも云へる如くシャフツベリーの倫理を說くや專ら吾人の直接の感情に重きを置き又諸〻の性情の互に相和する方面より其の說を立てゝ、吾人が思慮を用ゐ又諸性情の上に立ちて其を統御する心作用を說く必要あることの方面には注意せざりしが此の方面に最も重きを置きて說をなせるはバトラーなり。彼れに從へば、吾人の道德的行爲に於いて最も肝要とする所は一切の直接の感情及び自然の諸性能を支配するものの何ぞやといふことに在り。彼れも亦シャフツベリーの論じたるが如く決して吾人の自然の衝動(impulses)を以て唯だ利己的傾向のみを具へたるものとは見ず。其の論に曰はく、自利的性情の自然に吾人に具はるが如く社會的性情も亦同じく吾人に自然なるものなり、加之、通常吾人の主我的なりと考ふる物欲、衝動等も亦決して自己の快樂を思ひ浮かべて其を目的とすといふ意味にて利己的のもの