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リストテレース學派となりき。中世紀に發達したるアリストテレース風の思想は專らトマスの解釋に據れるものなりしが當時復興し來たりしは曩にスコラ學者の眼に映じたりしアリストテレースならずしてアリストテレース自家の學說の眞相を捕捉せむとする硏究なりき。然れども此等のアリストテレース學者の中にも差別ありて二大流派を成したり。一はアヹロエス派にして專らアヹロエスの解釋に從へるもの、其の中心はパドア大學にありき、此の流派の有名なる學者はアキルリーニ(Achillini 一千五百十八年に死す)。ニーフォー(Nifo 一三七三―一五四六)等なり。他はアレクサンドロス派にして有名なる註釋者アフロディシアスのアレクサンドロスに從へるもの、此の派の學者中最も有名なりしはポムポナッヅィ(Pomponazzi 一四六二―一五二四)なり。

善く當時の美術的精神に投合してアリストテレース學派よりも更に見るべき新結果を來たしたるは寧ろプラトーン學派なりき。プラトーン學派といふも實際は新プラトーン學派風の臭味を帶びたる者にして、フィレンヅェのアカデミーを以て其の中心とせり。プレト(Pletho 一三五五―一四五〇)、其の弟子ベッサリオン