Page:Onishihakushizenshu04.djvu/363

提供:Wikisource
このページは校正済みです

るや之れを以て吾人が本來の自然の狀態に於いて存在せるものにあらずして個々人の自利心によりて始めて考へ設けたるものとしたると共に又道德上の善惡を以て主權者の法律を制定せるによりて始めて生じたるものと視たり。此のホッブスの國家論に對してこゝに揭ぐべきはりロックの論なり。先づロックはかの主權黨の一人として有名なりしフィルマー(Filmar)が王の國民に對する關係を說きて王は子に於ける父の如く神によりて立てられたる一國民の父として其の權を有するものなりと言へるを排して曰はく、政權は父が子の上に有し主人が僕の上に有する權とは異なりて法律を制定し其の法律を實行し及び外寇を禦ぐ權能に在り。即ち政權は三部より成る、曰はく立法、曰はく行政、曰はく國防foederative)是れなり(是れ即ち政府の權力を三部分より成るものとする說の茲に始めて說かれたるものとして有名なるものなり)。中に就きて最高なるものは立法權にして而して一國民が立法權の下に服從するは人々が皆自由に其が保護の下に立たむことを約せしに因ると考へざるべからずと。此の點に於いては彼れはホッブス等と共に個々人の合意的結合によりて政權の成立せることを說くものなり、然れども