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學上にては彼れは上に述べたるが如き理由を以て神の存在に對しては懷疑の立塲を取るを正當と考へたるならむ。然れども彼れは决して神の存在を全く否めるにはあらずして寧ろ常識ある者の天地萬物を見て自然に其を造化せる者の存するが如く考ふるは、哲學上より見れば本より確實の知識といふことを得ざれども常識上の信仰としては許すべきものなりと見たるらしく考へらる。


第四十二章 道義學者

《ロックの政治論。》〔一〕デイストの宗敎を言ふや專ら道德を以て其の內容となしたりしが、當時又別に道德の論盛んに起こりて所謂英國道義學者の輩出せるありき。デイスト等はおほむね唯だ通常人の受け容るゝ道德思想を取りて之れを用ゐたるがゆえに彼等の說に於いては倫理的硏究といふべきものを發見せず。英國の道義學を起こす大動機となれるはホッブスの說にして彼れの說を駁擊して之れに代ふべきものを提出せむこと、是れ久しき間英國道義學者の力めたる所なりき。ホッブスの道德說は彼れが國家の論と相離れざるものにして彼れの國家の起原を考ふ