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く考へむは十分の根據なきことにあらずや、尙ほ詳かに言へば唯だ吾人限りある者に於いて心作用を認めたるより推して直ちに天地萬物全體に亘りて其を造りたる有心有意の原因あるが如く思ふは、吾人自らを他に移して天上の雲にも吾人の象を認むると同樣なる心理的作用に基づけるものにあらずや。又吾人が實際經驗する所に從へば此の世界は決して完美なるものと云ふべからず、實際幾多の不善なることの行はるゝあり、されば之れより推しては完全なる原因の存在することを十分に論證するに足らず。また若し現世に於いて是非善惡十分に區別せられて是は明らかに是とせられ非は誤ることなく非とせられなば來世を說くべき十分の根據なかるべく若し又現世に於いて正義の十分に行はるゝことなくば此の世界がただしき神に造られたりといふ十分の根據なし。畢竟吾人の實驗する所は唯だ一局部の事柄に止まりて其れより推して全體の原因を問ふべき十分のいはれなく、又况して其の原因を以て智慮あり完全なる德を具ふる者となすべき十分の根據なしと。彼れはかくの如く世界に現はるゝ意匠より推して神の存在を說く說を批評せり。今ヒューム自らが宗敎に對する眞實の意見を察するに、哲