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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/35

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かくの如く中世紀の思想とは大に其の趣を異にする希臘の文化に引かれて其の思想を復活せしむる外に又多少新しき傾向を取りて進まむとしたる者ありき。されど此等の新思想が組織的のものにあらずして槪ね想像に奔る傾を有せしは自然の事なり。

以上は過渡時代に於ける思想界一般の狀態にして之れを約言すれば、一は古代殊に專ら希臘の思想に對する歎美及び其の思想の復興、一は未だ組織を成さざれども種々の方面に大膽に動き出でたる思想を以て其の特徵となし得べし。此の過渡時代に於ける學風を見れば新精神の鬱勃たるさまを窺ふべく將さに來たらむとする何等かの大なる新しきものを探求し豫期せる樣を認め得べし。

《諸種の古代哲學の復活。》〔二〕斯く當時の學問界の大變動は先づ古學の復興によりて創められしが其の復興の最初の、又主要の舞臺は伊太利にして、之れに次げるは獨逸なりき。ピタゴラス派の學說、デーモクリトス、エピクーロス、さては羅馬の折衷的、通俗的哲學及び懷疑說等幾多の古代哲學は陸續として時人の注意を惹きて當時に復活し來たれり。此等復興せる古學の中、最も大なる流をなしゝは自らプラトーン學派とア