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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/352

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ち萬有神說を唱ふる者)と名づけ、〈此の名稱は實に始めてトーランドによりて用ゐられたるなり〉其等の人々の圑體を理想的に描けり。トーランドは其の著述の收入によりて一時其の生計の安きを得たれど後に至りては再び甚だしき困窮に陷り其の晚年を貧窶と病苦との中に送れり。

《當時の有名なるデイスト及び其の說。デイズムの民間傳播運動。》〔六〕思想上より云へば當時デイスト等の唱へたる所には特に新らしきもの又哲學上價値ありといふべきものを見ず、彼等の言ふ所は槪ねトーランドの所說を多少開發するほどのことに止まれりき。こゝに當時のデイストとして有名なる三四の人物を揭げむに、アンソニー、コリンス(Anthony Collins 一六七六—一七二九)の一千七百十三年に出版せる其の著『自由思想論』("Discourse of Free Thinking")に於いて自由思想の見を主張し、また通常豫言を基礎としたる證據論を排斥せるあり、トマス、ウールストン(Thomas Woolston 一六六九―一七二九)の其の著『救世主の奇蹟に就きての論』("Seven Discourses on the Miracles of our Saviour" 一七二七—一七二九)に於いて奇蹟を基礎としたる證據論を排斥せるなり。マッシュース、ティンダル(Matthews Tindal 一六五六―一七三三)は其の著『創世の古より在りし基督敎』("Christianity as