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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/34

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敎會に對する大打擊即ち宗敎改革等、是れ皆中世紀を變じて歐羅巴に於ける新時期を誘致したる原因なり。

當時學問界に於いても舊時代の遺物に滿足せずして何等かの新しきものを求むる精神の鬱勃たりしを見る。而して此の精神が先づ古代文藝の復興に於いて其の滿足を求めむとしたりしは自然の事なり。盖し旣に中世紀に於いて端緖を開きたる古代文藝の復興は當時ます其の潮勢を高め來たり中世思想に厭きて新を求めたる眼は先づ古代希臘の文化を歎美するに向かひたり。それ希臘思想の特質は自然的にして人間的、世間的なり。其の世間を樂しみ、吾人の知見を開くによりて能く自ら幸福なる生を送り得べしといふ信仰に充ちたるは中世紀の超自然的、出世間的、宗敎的なるとは大に異なれり。斯く其の精神を異にしたる古代の文藝を修むる(humanitas)を以て人を人らしからしむるに缺くべからざる事となしたる、是れ即ち當時の新學風にして之れを唱道せし人々をヒュマニストと名づく。中世紀に於いて敎會の打ち從へたりし世間的思想が彼等ヒュマニストの唱道に於いて復活し來たれりと謂ふべし。