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て且つ此の徒の中にて哲學史上最も注意する價値あるものとしてはヂョン、トーランド(John Toland 一千六百七十年愛蘭に生まれ一千七百二十二年に死す)を揭げざるべからず。トーランドの時始めて英國に於いて此の徒を呼ぶに自由思想家(free thinker)といふ名稱を以てせるを見る、盖し此等の人々は敎會及び其の他の權力(authority)を以て定めたるものより離れて須らく自由に宗敎上の事を考ふべしと主張したればなり。而して斯く敎權に從はずして自由に考ふるは是れ取りも直さず吾人各〻が自然に具ふる理性に從うて考ふるなり。トーランドはロックが如何なることの果たして天啓なるかを定むるは吾人の理性の範圍內のことなりと云へる說に根據し該の說の正當の結果として(但しロック自らはトーランドの結論を承認せざりしかども)唱へて曰はく、宗敎上吾人の承認すべきことは全く合理的のことならざるべからず、背理のことは云ふに及ばず超理のことと雖も亦眞正の宗敎の中に存在すべき筈なし、眞實基督敎に說ける所には毫も不可思議なるものなしと。是れトーランドが其の著 "Christianity not Mysterious" (『基督敎は不可思議ならず』)に於いて述べたる趣意なり。彼れに從へば、天啓は吾人を敎ふる方法