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に在るものとせられざるべからず。ロックの此の思想を追うて宗敎上の事を更に明らかに合理的方面に進めなば是れ取りも直さずデイスト等の主張する所に到るなり。
《ソシニアン派の宗敎觀。》〔三〕かゝる宗敎思想の合理的傾向はソシニアン派(法律家なりしレーリウス、ソシーヌス(Laelius Socinus 一五二五―一五六二)及び其の甥ファウストゥス、ソシーヌス(Faustus Socinus 一五三九―一六〇四)により創められし派にして二人共に伊太利に生まる)の神學說に於いて明らかに進みたるを見る。此の派の學者は以爲へらく、吾人の理性を以て了解すべからざることが天啓によりて吾人に示さるべくもあらず、吾人が何を天啓として承認すべきかは唯だ理性によりて判ずるを得るのみと。斯くて彼等は三位一體の宗義及び基督を神の化身なりといふが如き信仰個條を徘斥し神は唯一にして基督は人間の神聖なる者なりと唱へたり。されど彼等は敢て天啓の必要を否めるにはあらず。彼等に從へば天啓は決して吾人に究理上の眞理を示さむが爲めのものに非ず其の關する事柄は全く學理上のものと異なり。宗敎の特質は其が吾人に對して律法を揭ぐることにあり、神の吾人に示す所のものは哲學的世界觀にあらずして吾人の行爲の規律なり、故に宗敎を奉ずといふは畢竟ずるに