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に於いて此の種類の運動の最も成功せしはピエティストなり)また右の二者とも異なりて宗敎をば吾人の理性を以て認め得る普遍の基礎の上に置き謂はゆる自然宗敎を以て唯一の眞正の宗敎即ち眞正の基督敎となして其の他一切種々の宗派及び宗旨に附著し居る不必要なる、又迷信に基ゐする樣々の信仰個條及び儀式を抛擲せむことを求めたる人々あり。彼等は吾人の自然に具ふる光(lumenルーメン naturaleナチュラーレ)即ち理性によりて知り得ることの外、宗敎上に於いても吾人の正當に承認すべきものなしと唱へたり、即ち一言に云へば、彼等は合理的宗敎を唱へたるなり、而してデイストは此の部類に屬する者なり。

曩にロックは中世紀哲學に於けるトマス風の見方を繼續して超理と背理とを區別し天啓を以て吾人が自然の知識を補ふものと見たりき(而してかく見ることに於いてはライブニッツもヺルフも大體上其の意見を同じうせり)。然れどもロックは更に明らかに吾人の理性の外に天啓の信ずべき所以を示すものあらずとし、吾人の理性を以て天啓たることの十分の道理を發見し得べからざるものは眞正の天啓にあらずとしたれば畢竟ずるに宗敎上の信仰もまた吾人の理性の範圔內