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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/344

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《デイズムの當時に行はれたる原因、デイズムはロックの理性論を合理的方面に進めたるものなり。》〔二〕デイスト風の思想の行はれ來たれる原因を考ふれば深く當時に至るまでの宗敎界の變動に起因せるものにしてデイストてふものは其の一般の原因より生まれ來たれる風潮の一つの最も著るき結果と見るべきものなり。宗敎革命以後其れに引き續きたる三十年戰爭を初めとして諸〻の宗敎上の動搖、宗義に關する論爭及び宗派の嫉妬等時を追うて甚だしく遂に心ある者は其等の爭ひに倦み果てそを嫌惡する情を生じて寧ろ宗義の差別を輕視する氣風を釀し來たれり。ボシュエー(Bossuet)及びライブニッツが敎會の一致策を講じたるが如き、又敎會內の人にはあらざれどもスピノーザが信敎の自由を唱へ、ロックが其の自由なる基督敎思想の立場に在りて宗敎上の寬容を主張したるが如き、是れ皆區々たる宗派の區別の上に出でむことを要求する傾向を示すものにあらざるはなし。而して此の傾向の結果として一つには凡べて宗旨上の差別に冷淡なる種類の人々を生じ(例へば英國に於いてはラティチュディナリアン〔Latitudinarian〕の如き即ち是れなり)又一つには宗義上理論的の事を重んぜずして專ら實際上の信仰と實行とを貴ぶ人々を生じ(此等の人々は已にスピノーザの時に於いて和蘭にありき、又獨逸