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せり。此の宗敎觀に從へば世界は一つの機械にして其の機械は其を造れる者の存在を示し其が偶然に生じたるものにあらずして神智の所造なることを證明するものなり。又以爲へらく、世界が一旦神によりて造られたる以上は神は世界以外に在りて外より之れを照覽するに止まりて常に力を世界に添へ居るに非ず世界は其の機械作用によりて自ら其の働きを繼續し行くものなりと。此のデイズムてふ宗敎觀は十八世紀に於いては大に英國に勢力を振るひしのみならず、一般歐洲大陸に於いてもかゝる思想は盛んに行はれたり。デイスト(deist)てふ語は十六世紀頃に用ゐ初められしものとおぼしく元と無神論者に對して唯だおほらかに神の存在を信ずる者に名づけたる名稱なりしが其の後敎會の神學者等が又テイスト(theist)といふ語を用ゐることとなれるよりおのづからデイスト、テイスト二語の間に區別を生ずることとなり、前者は世界を創造したる神ありといふことを信ずれども、一旦造られたる以上は世界は其の定められたる所に從うて自ら動き行くと見るものを指し、後者は神は常に人事及び其の他宇宙の事に直接にたづさはりて其の攝理を行ふと信ずるものを意味することとなれり。