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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/326

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一物が因なくして生じたりと見たればとて聊かも論理上の矛盾を含めるにあらず(ヺルフが因果律を論理的に論證せむとしたる企圖の失敗したることは其の條下に云へるが如し)。因果の關係は分析的のものに非ず、吾人は因の中に在るものを如何に分析すればとて其の中より果を取り出だすこと能はざるなり、例へば吾人が火氣を添へて蠟の融くることを認むる時に於いても其の塲合に於ける火氣といふ原因を如何に分析すればとて其の中より蠟の融くるといふ果を取り出だすこと能はず、因果の關係を言表する命題に於いては客語は主語に附加されたるものなり。故に一物の存在に次ぎて他物の存在することを經驗するに先きだちて、即ちアプリオリa priori)に彼れが此れを生ずといふことは吾人の認むる能はざる所なり。然らば吾人は經驗によりて因果の關係を認むるか。吾人は實に一物が生じ或は變化するに次ぎて他物の生じ或は變化するを見る、されど其等相互の間に相次ぐべき必然の關係あることは、吾人の實驗する所に非ず吾人の眞實經驗することは唯だ一事一物の生起又は變化と他事他物の生起又は變化とが相次ぎて來たるといふことのみ。然るに因果律に於いて吾人の意味する所は一物が必ず