Page:Onishihakushizenshu04.djvu/325

提供:Wikisource
このページは校正済みです

的に確實なるものにせむとする純理哲學(又は形而上學)の根據にして純理哲學の論證的に確實なるか否かは一に因果律の効力によりて懸かると云はざるべからず。然らば因果律は如何なる効力を有すべきものなるか、吾人の知識の成立上如何なる價値を有するものと認めらるべきか。之れを硏究せるもの是れ即ちヒュームが哲學に於ける最も有力なる、又そが後世の哲學思想に影響を與へたることの最も著大なる因果律の批評なり。

吾人は如何にして因果律を承認するか。一の因が必ず一の果を生ずといふことは吾人の直覺的に認め得ざる所なり。吾人の直覺し得る所は觀念の單純なる異同の關係と其が時空に於ける隣接の關係とのみにして一物が他物を生ずといふことは其等と同樣に直覺し得べきことに非ず、又因果律は論理上論證し得べきものにもあらず、論理上の關係のみより考ふる間は甲てふものが乙てふものを生ずといふことの反對を考ふることを得べく、啻だ甲乙といふ二物の特殊なるものに就きてのみならず、因果律の一般の形(即ち凡そ因なくして物の生ずることなしといふこと)に就きても亦よく論理上は其の反對を考ふることを得。例へばこゝに