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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/324

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然にしかあるものなりといふこと能はずして唯だそが吾人の知覺する印象として兎に角或順序を以て連續し來たれりといひ得るのみ、即ち其の連續し來たることの必然なる所以を論證すること能はず、而して若し其を論證し得るものありとせば其は唯だ因果律ならむのみ。若し因果律を根據として考へなば啻だ一現象が他の現象と相前後せりといふのみならず、其の必然に相前後すべき所以を發見し得られざるべきか。而してまさしく此の思想を根據として究理したるもの是れ即ち從來究理學派の唱道せる哲學組織なり。デカルトが神の存在を證明するや吾人に直覺的に明瞭なるものとして因果律を用ゐ、ロック及びバークレーすらも此の因果律を取り扱ふこと亳も究理派の學者と異なることなく又吾人の印象以外に外界の存在(或は物界として或は心界としての存在)することを說くにもまた因果律を基とし、其の印象の原因なかるべからずといふより外界の存在を知識し得と考へたり。吾人は素より本體を直覺的に知ること能はずとも因果律に從ひて其の存在を知ることを得と考へられざるべきか。此の因果律實に是れ自然の現象を唯だ平叙的又實驗的に臚列する學問より一步を進めて事實上の知識を論證