コンテンツにスキップ

Page:Onishihakushizenshu04.djvu/323

提供:Wikisource
このページは校正済みです

命題の上に言ひ現はせば其の客語は主語に附加されたるものなり、而して其の能く附加さるゝ所以を尋ぬれば唯だ吾人が時空に於いて隣接したるものとして若干の印象を知覺したるが故なりと答ふる外なし。是れ其の反對のよく考へ得らるゝ所以なり。例へば太陽は明日東より上るべしといふはこれ事實上の關係を言ひ現はしたるものにして、其の客語は主語の中より分析し出だせるものに非ず附け加へられたるものなり、而して其の附け加へらるゝ所以は從來太陽として吾人に知覺されたる印象と其れの東より上り來たることとが連結したるがゆゑなり。されど其の必ず連結すべしといふ理由は吾人の思想上の關係に存在せざるがゆゑに吾人はよく其の反對を考へて太陽を明日上らざるものとも思ふことを得。事實上の關係は此の點に於いて數學上の論證的眞理と異にして、後者は其の反對を考ふること能はざるなり。一言に云へば、論理的眞理は分析的のものにして其の反對を考へむとせば矛盾に陷れども、事實上の眞理は分析的ならずして其の反對を考ふることは論理上少しも矛盾を含むことなし。

《因果律の批評。》〔一〇〕此の如く事實上の知識は論證的に確實なるものに非ず、換言すれば、必