Page:Onishihakushizenshu04.djvu/322

提供:Wikisource
このページは校正済みです

相同じといふことを斷言し得ざるなり。之れを要するに數學は實在物の關係を定むるものに非ずして觀念相互の關係を定むるものなり、詳しく云へば、一觀念として吾人の思ひ構へたるものを分析して其の中に含まれたるものを開き出だす(卽ち命題上客語として言ひ現はされたるものに於いて主語の中に含まれたるものを分析し出だす)ものなり。是れ數學に於いて說く所の、如何なる塲合に於いても確實なる所以なり。此の故に數學は論證的に正確なるもの、而して正當なる意味に於いて論證的學問と稱せらるべきは唯だ數學あるのみ。

《論理的眞理は分析的にして其の反對を考へ得ざれども事實上の眞理は附知的にして其の反對を考へ得。》〔九〕吾人の知識には數學に於いて云ふが如き觀念相互の關係を認むるもののみならず又事實に關するものあり、而して事實と名づくる者は時空に連續し共在する印象以外に在るものにあらず、故に其の事實を叙すといふは時空に於ける關係によりて印象を揭ぐるの謂ひに外ならず、而して斯く聯想律の第二の規則即ち隣接の關係に從うて事實を叙述したるもの是れ即ち自然界及び人類に關する學問の平叙的また實驗的なるものなり。此等事實に關する實驗的學問は論證的に論じ出だすことを得るものにあらず、此等は分析的のものにあらずして之れを