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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/302

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る物界を說くを要するのみと。是れ即ちマルブランシが吾人は直接に物界を知覺することを得ず唯だ物界の模範として神の心に存在する永久の觀念を見ることを得るのみと云へる論の自然に到達すべき結論として、即ち神の心に於ける觀念にもあらず、また吾人の心に於ける觀念にもあらざる物界を無用のものとして排除したるなり。

《ロック、バークレーの說の當さに至るべき所に說き到れるはヒュームなり。》〔一一〕上に開陳したる所を以ても知らるゝ如く、バークレーはロックの思想より出立して其の當さに到るべき所に到らむとせる者なるが、彼れの所說はまたデカルトの所說に出立點を有し居りて或處にはロックよりも尙ほ明らかにデカルトに其の思想を結び付けたる趣あり、從ひてまたロックの唱へ出でたる經驗主義より一向ひたぶるに考察し行かば必然に到達せざるべからざる所に進むに至らずして中途に止まれる點あり。彼れはロックの謂はゆる本體の觀念を打破したれども物界ならぬ心界の方面に於いては尙ほ此の觀念を維持したりと云はざるを得ず、何となれば彼れの謂はゆる精神は唯だ觀念の結合にあらずして觀念する者また其を結合せしむる所以のものにして、此の點に於いてはデカルト學派が精神的本