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伴ふ少なからざる收入と共に其の位地を棄てて北亞米利加に行き其處に敎化を布かむことを思ひ立ち遂に政府の補助を受くべき約束を得て大西洋のかなたに航し居をロード、アイランドに卜して彼れが歐洲に在りては行ひ難しと見たる其の理想を新國に試み其の人々をして自然なる生活を送らしめ文藝及び宗敎を布きて彼等を新らしき敎化に浴せしめむと企てたり。されど政府が其の約束を守らざりしが爲め大なる困難に陷り數年間自費を以て支へしが遂に之れが爲めに自己の財產の大部分をも擲ち一千七百三十一年遂に空しく其の故國に歸れり。一千七百三十四年監督の職に擧げられ彼れは之れを辭せむと欲したれども國王之れを許さざりき。彼れが其の監督の下に在る區域の人民に對するや貧者を救恤する等種々の社會上の事業に力を致したり。一千七百五十二年居をオックスフォルドに移しゝが翌年一日讀書し居ける時急に心臟麻痺のために逝りぬ。

バークレーは啻だ哲學及び宗敎上の事柄に心を傾けしのみならず、自然科學の方面にも廣く其の眼を著け且つ社會上の問題にも注意を怠らず、其の歐洲に旅行せる時の如き諸國の風土風俗等を始めとしてそれらを觀察することに疎かならざ