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なりたれど右論じたる所によりて知らるゝ如く彼れが所說には整頓せざる所なほ甚だ多く從うて種々の點に於いて批評を受くることを免れざりき。一方には彼れとは反對の立塲よりして其の說を批評し得ると共に又他方には彼れの立塲に在りて彼れが說の中途に彷徨せる所あるを改めそを其の當さに進むべき所に進ましむるを得。前者に屬する批評の中最も有力なるものはライブニッツによりて爲されたり。ライブニッツが批評の最も深くロックの學說に觸れたる點は其の說を以て吾人の心性作用に於ける無意識的方面を看過せるものとなす所に在り。ロックは以爲へらく、吾人の心に本具するものなる以上は其は我れ自らに意識せられざるべからずと。ライブニッツは曰はく、否必ずしも然らず吾人の意識は其の極めて漠然たるものより漸次に發達し來たるものなり、知識の進步は其の初め可能的に具へたるものを發揮し來たり、初め無意識的に爲せる作用を漸次に意識し來たるに在り、吾人の心性に本具せざるものにして他より入り來たり得べきものなしと。ロックは曰はく、吾人には一として生得の觀念てふものなしと。ライブニッツは曰はく、吾人の觀念は悉く生得なりと。ロックは曰はく、若し