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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/277

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且つまたロックが心理上觀念生起の順序を論ずるや、外官を先きなるものとして之れに重きを措きたれども後に知識上の價値を論ずるに及びては其の輕重を倒まにし吾人の內官によりて發見する所のものを優れりとせり。盖し感官上外物の存在を知る知識は彼れに取りては全く確實のものといふを得ず、其れと異なりて吾人が內省的實驗によりて我れの存在及び觀念相互の關係を認むる知識は全く確實なるものなり。此の點亦明らかにデカルトが哲學思想の痕跡を止めたるものなり。

ロックはまた吾人の心を白紙に譬へて吾人の觀念は凡べて吾人が所動的に受け入るゝものなるかの如くに說けり。されどこの有名なる白紙の譬喩は彼れの本意を表はすには不適當なりと云はざるべからず。彼れが所謂經驗說は固より唯だ吾人の知識の淵源を五官によりて得る感覺のみに歸する感覺說とは異なり。彼れは別に內官によりて得る觀念を說けるのみならず其の觀念を何處より得るかと尋ぬれば其は吾人が外官によりて得たる觀念を以てする我が心作用に就いて得るなり。而して其の心作用はもとより外官によりて得たる觀念なくして有