Page:Onishihakushizenshu04.djvu/278

提供:Wikisource
このページは校正済みです

り得るものならねどそれは外官によりて得たる觀念とはおのづから別なるものにして吾人の心性に具する活動と云はざるべからず。此の處より見れば、ライブニッツが吾人の知性其のものは感官より來たれるものと云ふべからずと說けるはロックの必ずしも否めるところにあらず、何となれば彼れは感覺によりて得る觀念と共に吾人の心作用をも說き而して此の心作用は寧ろ能動的のものと見ざるべからざればなり。盖し感覺よりする觀念は經驗に待たざるべからず即ち其處に於いては吾人の心は所動的なりと謂はるべけれど其等の觀念を比較し結合するは心の能動的作用と云はざるべからず。ロックに從へば、觀念は本來心の能動的に造り出だせるものにあらざれども其を比較するとせざると、結合するとせざるとは心其のものの作用に在りて他に待つ所あるにあらず、而してまた其を比較し結合したる以上は其の觀念に具はれる關係を發見せざるを得ず。而してロックは其の觀念の關係を見て恰も觀念其のものに必具して離れざるものの如くに考へ、吾人は唯だそを發見するを要するのみと思惟したるがゆゑに其の關係を認むることに存する吾人の知識は彼れによりて遍通必然のものとせられたり。一