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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/276

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たることはもとよりなれど、其が果たして眞に神の證言とせらるゝ理由あるか否かを定むるは畢竟ずるに理性の範圍內の事と云はざるべからず。

《ロックの哲學のデカルトの哲學に對する關係及びロックの哲學の批評。》〔一九〕以上ロックが吾人の智識の起原、成り立ち、界限を明らかにせむとて說き出だしたる彼れが哲學、即ち世に彼れの經驗哲學と名づくるものの要領を陳述しぬるが、今顧みて委細に其の哲學思想を成せる要素を考ふれば著るくデカルト學派の唯理的學說に由來せる動機を認むることを得。ロックが吾人の觀念の淵源に二種ありとして外官と內官とを說ける所に於いてデカルトの二元說が其の形を裝うて潛めること明らかなり、彼れが物體の第一性質の或成り立ちが何故に第二性質の或ものを吾人に思ひ浮かべしむるか、換言すれば、物體分子の種々の結合及び運動が何故に吾人の意識上のものなる感覺を起こし來たるかは了解すること能はずと云へる所の如きは正さしくデカルト學派の口吻なり。ロックに取りてはデカルトに於けるが如く心作用と意識とは同一不二のものにして心に思ひて其を意識せざることなしとせられ、而して所謂意識の作用と物體の運動とは嚴然として相對峙すとせられたり。