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に明らかに確認し得べき所なり。無が有を生ずといふは無が二直角に等しといふと同じ程に妄なるものなり、若し何もなきものが二直角に等しきことの有り得べからざることを知り得ざる者あらば其の者は到底オイクライデースに於ける論證を解すること能はざるものなり。此のゆゑに若し茲に或實在物あらば之れによりて吾人は何物かが無始より存在することの明瞭なる證明を得たるなり、何となれば無始より存在せざるものならば其れには存在の始めあるべく、存在の始めを有するものならば其は無より生ずること能はざるものなるが故に其れを生ぜしめたる或物が已に存在し居らざるべからざればなり。斯くして吾人は我れの存在すといふ直覺的知識より推究して永遠に存在する者の存在を承認することを得るなり。且つ又他より其の存在を得たるものは其れの具有するものも亦他即ちそれに存在を與へたる者より得たるものならざるべからず故に永遠に存在する者は他のものに於ける凡べての力の淵源たらざるべからず。而して吾人は我れに於いて智慮の存することを認む、故に凡べてのものの原因と見らるべきものは又智慮を具へたる者ならざるべからず、若しそを全く智慮なきものとなさ