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《觀念に對する實在物の存在、神及び外物の存在の論證。》〔一七〕終はりに觀念に對する實在物の存在に就きての知識には第一に吾人自らの存在を直覺的に認むる知識あり。ロックが此の點を論ずるや殆んどデカルトの言葉其のまゝを用ゐたりとの批評を免れず。彼れ曰はく、吾人の存在することに優りて更に明瞭に認識さるべきものとてはあらず、我れは思盧を回らし、快苦を感ず、而してかく思慮し快苦を感ずといふことの明らかなると同じく之れを感ずる我れの存在は明らかなり。我れ若し凡べての事を疑はば疑ふといふことによりて已に疑ふ我れの存在することを明らかに直覺すべきなりと。

次ぎに實在物の存在に關する知識の中に論證を以て神を認むる知識あり、此の神の存在を論證するに於いてもロックはまた明らかに多くデカルトに負へり。彼れ曰はく、神は彼れにつきての生得の觀念を吾人に與へず、然れども吾人は論證してよく彼れの存在を認むることを得べく、而して其の論證には我れの存在を根據として考ふより外に他のものを假らずして十分なり。盖し我れの存在すること即ち我れの或實在物なることは疑ひを容るべからざる程に明暸にして而して之れと共に全くの無が實に存在する或物を生じ得ずといふことも亦吾人の直覺的