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ば何故に智慮といふ作用の吾人に存在するかを了解すべからざればなり。且つ吾人は天地萬物に現はれたる秩序調和及び其の美を考へても能く一つの永遠に存する無限智ある者即ち神の存在を承認せざるべからずと。ロックに取りては神は直覺的に知るべからざるものなれども其の存在を證する論證は少しも疑訝を挾むこと能はざるほど明瞭確實なるものと思はれたりき。盖しロックが此の論證はデカルトが因果律を直覺的に明瞭なるものとして神の存在を證するに用ゐたりし如く矢張り之れを直覺的に明らかなるものとして用ゐたるなり。

次ぎにロックは實在物の知識中には吾人が感官を以てする外物の存在に關するものあるを說きて曰はく、吾人の五官に現ずるものが吾が觀念以外に存すといふことも亦吾人の承認せざるべからざることなり。但し其の外物に就きて吾人の直接に心に浮かぶるものは我が觀念に外ならざれども其等の觀念は我が隨意に思ひ出だし得る他の觀念とは異なりて、吾人の思ひ起こすことを避け得ざるものなり。故に其の如き觀念に對しては、吾人は外在の原因の無かるべからざることを推知し得べし。ロックは此處にもまた因果律を根據として論じたり。且つ外