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詳かにしたりとすとも何故に第一性質の或成り立ちが第二性質の或ものと必然に相關係すべきかを發見し得ず、唯だ物質上かゝる運動の存する所には斯かる感覺の生ずといふことを見るに過ぎずして其の間に必然の關係あることは吾人の知識の量り得る範圍にあらず。故に其等の事に關して吾人が實驗によりて知り得る事柄は畢竟個々の事相を認むるに過ぎず、唯だ經驗上此の性質と彼の性質とが相共在せりといふことを認むるのみにて其の關係の遍通又必然なることを斷ずる能はず。此のゆゑに物質に關する經驗的學問は畢竟ずるに確實に學理的のもの(scientific)となるを得ざるなり。吾人の有する遍通の知識は要するに吾人の思想上の關係に存在するものの外に出でず。斯くロックが自然科學は要するに實驗的學問ならざるべからずと說き、而して又其れが實驗的學問なるべきが故に遍通にして全く確實なる知識を與ふるといふ意味にて學理的のものとなること能はずといふ表白は經驗哲學の開祖の言として特に吾人の注意を引くべきものなり、且つ其の表白の意味と價値との、更に悉しくは如何に考ふべきものなるかは是れより以後の哲學思想の發達に於いて徐々に吾人の發見し行くべきものなり。