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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/268

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念を形づくればその觀念を思ひ浮かぶることに於いてそを吾人の當さに行ふべきものなりとするの關係を認めざるべからざるなり。此のゆゑに倫理學は數學と共に論證的學科の一として數へらるべきものなりと。此のロックの論は彼れが知識論の一端として特に吾人の注意を引くに足る。

《觀念の共在。》〔一六〕次ぎに觀念の共在といふことに於いて合不合を見るの知識は槪ね必然のものならず。そは吾人は種々の性質の一物に共在することを發見すれども其の性質相互の間に必然の關係あるを發見すること甚だ少なければなり。形ある物には廣がりといふ性質なかるべからざること及び相衝突して運動を傳ふるには其の物が各〻質凝の性を有せざるべからずといふことの如きは必然に相關係し居る性質として吾人の認むべきものなれども、斯かる少許の例を除きては吾人は唯だ一性質と他の性質とが相共在することを認むるのみにて其等の必然相伴はざるべからざることを知了すとは云ふこと能はず。其の故は第一に吾人は感官を以て感ずる種々の性質が如何に多く結合して如何に運動することが如何なる感官上の性質を吾人の心に喚起するかを詳かにすること能はず、假りに其を