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に承認すべき所のものなり、何となれば是れ觀念と觀念との關係に外ならざれば也。凡そ論證的に確實なる知識を形づくり得るは吾人自らの作り設けたる觀念相互の關係を見る所に在り、數學の如き即ち是れなり。例へば三角形の角度の和といふ觀念と二直角といふ觀念との關係は吾人の思ひ浮かぶる所に在るものにして其は觀念の上に於いて明らかに認めらるゝがゆゑに他に其を證するものを要することなく、特に一物を捕らへて其を三角形なりとも又二直角なりともいふを要せず、茲に實在する三角形は眞實の意味にて三角形といふべきものならずとも若し其を三角形なりとせば其の角度の和は必ず二直角に等しといふことを承認せざるべからず。かくの如く數學上の命題は唯だ觀念と觀念との關係を見るものなるがゆゑに其は論證的に確實なるものなり。ロックは以爲へらく、倫理學も亦能くかく論證的に確實に建設せらるべし、何となれば倫理學の目的とする所は吾人が實際行ひ居る個々の事實の如何なるかを穿鑿するに在らずして寧ろ吾人が人間として當さに爲すべき事柄の關係を定むるに在れば也。例へば正義は實際しかじかの所に在りや否やと云ふ事實の穿鑿を事とせずとも唯だ正義てふ觀