コンテンツにスキップ

Page:Onishihakushizenshu04.djvu/266

提供:Wikisource
このページは校正済みです

直覺的にも認むることを得ずまた論證的にも確實に認むること能はざるものは皆或然的知識の範圍內に在る者にして吾人は唯だ之れに對して然るならむといふ信念を持し得るに過ぎざるものなり。上に述べたるが如く直覺的知識と論證的知識とを別かつことに於いてはロックはオッカム等に傚ひたるものと見て不可なし。又論證を以て確實に吾人の知識を進め行かむには其の一步々々が直覺的に明瞭ならざるべからずと云へる、是れまさしくデカルトの唱へたりし所なり。

右云へる觀念の合不合といふことを尙ほ詳細に述ぶれば一つには觀念の同一又異別といふこと、二つには觀念の關係、三つには觀念の共在、四つには其の觀念に對する實在物の有無を認むることとなる。此等もろの點より觀念相互の關係を定むることに於いて種々の知識は存在するなり。

《觀念の同一、異別及び觀念の關係。》〔一五〕上に擧げたる觀念の合不合を見るに就きての四種の點の中、先づ最初の二つに就きて言はむに、直覺的に或は論證的に確實なる吾人の知識は多く此等の種類に屬す、蓋し觀念の異同或は關係を直覺的に或は論證的に認識する時に於いては其は其の觀念が他のものに應ずるか否かを見るを待たずして吾人の當さ