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なし、唯だ若し其の如き一觀念を意味する辭をそれの正當に適用されざる觀念に用ゐるときにはそれが非實となると謂ふべし、例へば物惜しみせぬと云ふ觀念を公義の觀念と呼ぶが如し。斯くそれ自身が原型なる觀念に對しては單純觀念は他に其の對境を有するもの(ektypa)と謂ふべし。物體の第二性質と名づくる觀念も亦それに對應する何等かのものが物體に實在せるなり。

孤立せる一言辭又は一觀念は其の明不明の度に於いては大に相異なるあれども未だそれに眞妄の別はあらず。眞妄の別は一言辭と他言辭とを結びて「一命題」を形づくるところに存するなり。されば世に眞理と名づくるものは畢竟相合ふ觀念を合はせ相合はざる觀念を分かつに在りと謂ふべし、委しくは之れを思想上の眞理(mental truth)と名づけ而して其等觀念の相合ふと相合はざるとに從って其等の觀念を言ひ現はす言葉を相關係せしむる、これを言語に於ける眞理(truth of words)と云ふ。

斯く觀念を言ひ現はす言語を相關係せしめて命題を形づくるにも或は其の主語として取れる言葉の中に已に含有せる事をいふに過ぎざる者あり。此等の命題