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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/256

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ば一ダスといふ觀念の如きは自立して存在するものの觀念にあらず、何等かの事物に於いて始めて一ダスといふことの在るなり、而して其は又同樣のものを幾何か重ねたるものなれば單純狀態なり。次ぎに戰ひといひ、又は盜みといふ如き觀念も亦何物かに於いて在るもの即ち狀態なれどもこれは同樣のものを累積せるに非ずして種々の異なる單純觀念の結合したるものなれば雜合狀態と名づくべきものなり。單純狀態の中特に吾人の注意すべきものは廣がりといふ觀念より得來たる所のもの、即ち一切空間に關するもの、例へば距離、容量、形狀等即ち是れなり、次ぎに繼續といふ觀念より得來たる所のもの、是れ一切時間に關する觀念にして吾人は繼續する事柄の相去る間隙を計りて時日等の觀念を作る、而して其の計量を何處までも延ばし行く所に永遠といふ觀念を得、次ぎにはといふ觀念より其を重ぬることにより數といふ觀念を作り、又そを何處までも重ね行く所に無限といふ觀念を得、其の他といふ觀念より能動所動といふが如き觀念を得來たる。雜合狀態は吾人が唯だ假りに種々の觀念を繫ぎ合はして作る所のものなるが故に人民の習慣等の異なるに從ひて其が有する所のもの亦大に異なり、特殊なる雜