コンテンツにスキップ

Page:Onishihakushizenshu04.djvu/257

提供:Wikisource
このページは校正済みです

合狀態の觀念を表はす特殊なる言語の一人民に在りて他には無きもの少なからず。

《本體てふ觀念の說明。》〔一〇〕本體といふ觀念は吾人が一物に種々の性質の變はることなく常に相結合するを見、而して其の性質の斯く結合して保たるゝことをば其等の性質のみが自立して存在するものと見ては解すべからざる所より別に其等を保持するものなかるべからずと思ひ到る所に得る觀念なり。されど其等本體は如何なるものなるかと云へば吾人は毫もそれに就きて知る所なし。若し人ありて色又は重さの具せられ居る所は何處に在るかと問はば唯だ廣がりを充たし居るものに在りと答ふる外あるべからず、而してまた其の廣がりと質礙とは何物に具有せられあるかと問はれむには、吾人が其の物の何たるかを言ひ表はす能はざること、恰も印度人が世界は大象に保たれ而して其の大象は大龜に保たると云ひて大龜を保つ者の何たるかを言ひ得ざるが如し。是を以てロックは本體といふ觀念をば混雜せる觀念(confused idea)となせり。(デカルト及びスピノーザに於いて緊要なりし、又最も明瞭なるものなりし此の觀念がいかにロックによりて取り扱はるゝかを